院長回顧録~慶應義塾大学病院編~
こんばんは。
あけぼの橋内科・内視鏡内科院長ブログです。
経歴というのは文字で並べるとシンプルですが、その裏にはもっと濃い歴史があります。
今回は、昔を振り返りながらその“行間”をお伝えしていく、超ロング自己紹介シリーズです。
タイトル、ちょっとカイジっぽくてかっこよくないですか?
床ではなく読者をキンキンに冷やすのが、あけぼの橋内科・内視鏡内科院長ブログです。
(あのセリフ、実は漫画には出てこないんですよ?)
■ 初期研修は慶應義塾大学病院と荻窪病院の“たすき掛け”
私の初期研修は、慶應義塾大学病院と荻窪病院を行き来するプログラムでした。
そして始まりはまさかの外科。
心臓血管外科 → 呼吸器外科 → 脳神経外科 → 一般外科という、驚異のローテーション。
学生時代をのほほんと過ごしていた私には、カルチャーショックが大きすぎました。
「え?24時間働けますか?」
そんな世界観。
今では時代も変わり、当時のような働き方はおそらく残っていないと思いますが、あの頃は“マッチョでないと生き抜けない”時代でした。
ただ、最初に外科系を経験して本当によかったと思っています。
社会人としてのスタンダードが叩き込まれ、その後の研修が少し“緩く”感じられるほど、精神的な筋力がつきました。
■ 救急科で初めての“同期の存在”
外科ではずっと一人でローテートしていた私にとって、救急科で同期がたくさんいたことは何よりの救いでした。
この時期、とにかく点滴を取りまくりました。
「どの科に進んでも点滴は絶対必要だ」と思い、同期の担当患者さんの点滴まで取りに行く始末。
そのおかげで、点滴は今でも得意です。
■ 内科ローテーションと“スマートな内科医”への憧れ
外科・救急が終わり、内科の各科を回りました。
実はこの時、消化器内科はあえて選んでいませんでした。
当時は“スマートな内科医”に憧れていて、膠原病内科や神経内科のような、知的でクールな雰囲気の科に惹かれていたのです。
しかし、慶應義塾大学病院の先生方の論文を読む量がとにかくすごかった。
毎日、百科事典のような厚さの論文を渡され、
「これ読んでおいてねー」
と笑顔で言われる。
あの超賢い先生たちの姿は今でも忘れません。
「自分もこんなふうになれるのか?」
「いや、絶対に淘汰されてしまう…」
そんな不安と自問自答を抱えたまま、慶應での研修は終わりました。
荻窪病院編へ続く…